大文字山の千人塚
昨日の大文字山の山頂から銀閣寺に下るところで、
黄葉が落ちた広場の写真をあげた。
「千人塚」と呼ばれるちょっと開けた場所。
気候のいい時期は近くの園児がここまで登ってきては広場で遊んでいたりする。
この「千人塚」は、太平洋戦争中陸軍が掘ったところたくさんの人骨が出てそれを供養した場所である。
その供養塔がこちら↓
このたくさんの人骨は誰なのか?
それはこの近くにかつてあった中尾城での戦いによる戦死者だったとのことである。
いつの時代かというと、今のNHK大河ドラマ「麒麟が来る」の時代で、
戦ったのは向井理が演じた足利義輝。
相手は三好長慶。大河ドラマでは山路和弘が演じていて、吉田鋼太郎演じる松永弾正の親分にあたる。
足利義輝は三好に取られた京都を奪回するために、銀閣寺の裏手の山にある中尾城に陣を構える。
現在の中尾城跡はこんな感じ↓
義輝はこの戦いで負けて大津市坂本に逃げていく。
足利義輝と、その父足利義晴はよく戦うのだが負けるたびに近江の坂本や朽木そして堅田に逃げ帰る。
足利義輝が元服したのも先日娘と参拝した日吉大社だ。
中尾城の戦いでは、東山界隈が戦場になり小競り合いがいくつも起こり放火されもしている。
現在の大津市にも派兵されて、当時の大津村、松本村(大津市松本)も放火されている。
日本人同士で戦って、町が放火される世の中ってまるで地獄のよう。
日本史の中では、戦国時代は面白い時代なのだが、
間違ってもこの戦国時代に生まれなくてよかったな心からそう思う。
この記事へのコメント
今、ちょうど大河ドラマを見てますが、戦い人を殺すことが当たり前のように日常茶飯事になっていて、この当たりから、光秀の心は信長から離れていくのかなと、ほんとうに戦国時代に生まれてなくてよかったと思いますね。
⇒わかりやすい。納得!!!
確かに15代義昭まで続いたのが奇跡。あれだけたくさんの強力な守護大名がいる中で、収税もできず武力も大してないのによくまあ官位だけ解かれずに続けられたのは、上手く利用されてしまったってことなのでしょうか。役立たずは公然と暗殺されちゃうしホント可哀想。
光秀に関してはわからないことだらけなので、このドラマではどんな光秀像にするのかが興味深いところです。今のところは、女・子供は逃がしてあげる情のある人間に描いていますが、実は残虐だったという説もありますし、つい最近でも「光秀は本能寺に行かなかった」という記録も出て来ました。本能寺に行かずに鳥羽(鳥羽伏見の鳥羽)に居たと。
記録が乏しいほど、どうにでも話を膨らませられるのでドラマは面白くなります。(^_^)
やっぱり役者の顔を思い浮かべた方が、歴史は楽しいですよね。歴史小説を読むときも、秀吉は「香川照之」か「竹中直人」だし、明智光秀はなぜか「村上弘明」なんです。みんなそれぞれイメージを持っているのでしょうね。(^_^)
大文字は大阪への帰省途中で今まで3度くらい歩きました。
2回は銀閣寺から、1回は山科から。
千人塚の存在はしっていましたが、そんな歴史があるとは知りませんでした。
今は「麒麟がくる」を見ているので、余計に臨場感が沸きますね!
そんな恐ろしい時代でも「塚」が出来るほどなので、よほど凄惨な出来事だったのでしょう。
また歩くことがあれば、しっかりと手を合わせようと思います。
あけましておめでとうございます。特に京都はどこを歩いても凄惨な歴史があるので、それを不気味に感じてしまうとどこも歩けなくなってしまいますものね。本読みさんの通り、しっかり手を合わせてって感じでいいのかもしれません。
銀閣寺からのコースは尾根伝いですが、その1本南の谷筋は「鹿ヶ谷」で、ご存知の通り「鹿ヶ谷の陰謀」で有名な場所。そんな昔に想いを馳せながら歩いていると不思議な気持ちになります。山歩きは、歴史をはじめ、気象、天文、地学、生物学などなど、どの分野でも受け入れてくれるのでマイブームが次から次へと移り変わっても楽しめますよね。(^_^)